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語り部ガイドさんの話に涙。決して忘れてはいけない東日本大震災(宮城:南三陸町) [旅行/温泉]

職場の同僚と、遅まきながら少しでも東北復興にお役に立とうと、宮城県まで
行ってきました。

本当は、初日の観光の話を書こうかと思ったのですが、二日目の語り部ガイドさんによる
話に心が傷み、あの事件を決して風化させてはいけないと思い、忘れないうちに皆さんにも
お伝えしたいと思い記事にしてみました。

まずは、南三陸町でもっとも、震災のニュースで報道されていた「防災庁舎」。
防災対策庁舎4.jpg
この防災庁舎の2階で、最後まで住民の方に避難の放送を続けた役場の職員の話は有名ですね。
お名前は、危機管理課に所属した「遠藤未希」さん。
彼女は、他の職員から、屋上に逃げるように何度も説得されたけど、決してマイクの場所から
動こうとしなかったようです。

語り部ガイドさんの話を聞きながら、バスの中で、涙が止まりませんでした。
今回は、現場の混乱を避けるため、現地に降り立つことは出来ませんでしたので、バスの中から
そっと手を合わせることしかできませんでした。

彼女の命を引き替えにした決死の放送が,彼女の名前のように、住民の方の「未来に希望を」
与えたんでしょう。
この記事を書きながらも、涙が止まりません。
Youtubeでも、遠藤未希さんを検索すると、彼女の当時の放送を聞くことができます。
 ※遠藤さん、安らかにお眠りください。
防災対策庁舎3.jpg
それから暫く、バスに乗って移動する途中に、被害にあったホテル観洋さんの横をとおった。
ホテル観よう.jpg
このホテルも2階まで津波が押し寄せたそうです。
このホテルは自らが被災しながらも、他の住民の方を暫く受け入れていたようです。

暫く志津川湾添いを走り、戸倉小中学校の近くへ来た。
語り部ガイドさんから数枚の写真を渡された。
戸倉小学校3.jpg 戸倉小学校2.jpg
被災した戸倉小学校の写真。
右側写真の手前が体育館だそうです。この体育館での卒業式を生徒達は楽しみしていたそうです。
残念ながら今は、土地が整備されて何も無いです。
戸倉小学校跡地7.jpg
この小学校の生徒達のほとんどが、津波が来る前に近くの高台の山に避難にして
被害を逃れたそうです。
避難した山.jpg
ちょうど、真ん中の赤丸の位置に、五十鈴神社というのがあり、ここまで避難をしたそうです。
この神社の鳥居のところに、ここまで津波が押し寄せたという記念碑が今は建っているそうです。

実は、この避難についてあまり知られていない事実があったので、皆さんにお伝えします。

当初は、小学校の屋上に避難する様に指示されていたようですが、震災直前にこの山に
逃げることが決まったようです。

震災の数日前に、震度4程度の地震があったようで、その時に避難経路の確認があった
ようなのですが、震災の前々日の3/9に避難経路に関して会議あり、ある先生が、学校の屋上
だと危険なので、この山の中腹まで避難することにしましょうと緊急提案があり、この山に
逃げることが、たまたま決定したとのことです。

そこで、幸いにも翌日の3/10に、避難訓練の練習をしていたようです。

しかし不幸にも3/11にあの大地震が発生してしまったのですが、この前日の避難訓練が功を奏し、
生徒達が無事逃げることが出来たらしいのです。
でも唯一家族が迎えに来た生徒だけ、被害に遭ってしまったようです。

この先生の意見が無ければ、沢山の生徒達の命も失われていたかもしれないとのことでした。

無事に生き残った生徒達は、震災の当日、「川嶋あい」さんの「旅立ちの日に…」を
みんなで歌いながら夜を過ごしたそうです。
その縁もあり、その年の夏に行われた戸倉小学校の卒業式に、川嶋あいさんも出席して、
「一緒に旅立ちの日に…」を唄ったそうです。
 ※ネットで調べてみると、沢山記事が載ってました。

こんな話も、ガイドさんから聞かなかったら、知らなかった。恥ずかしい・・・。
戸倉中が髙2.jpg
近くの戸倉中学校は、現在は仮設住宅になっていましたが、未だに時計は当時の
時間のまま止まっていました。

実は、この仮設住宅近辺も現在ガイドされる場所になっていますが、住民の方からは
「また見せ物になるのか?」という強い反発があったようです。

根気よく、観光ガイドの説得により、震災の辛さから頑張っている姿を見せようと言うことで、
納得をしてもらったようです。
でも、被災した方々の生活もあるので、この場でもバスから降りることはなかったです。

そして、この場所から次の場所に移動したときに衝撃的な事実が!
なんと、津波の後では、海の底が見えると・・・。
海の底6.jpg
ガイドさんから提供された写真なので、ちょっと見づらいのですが。
津波が引いた直後に、住民の方が撮った志津川湾の写真とのことで、海の水が引けて、海の底が
見えていたそうです。海の底には、流されてきた車が写っています。

かなり前にあったチリ地震の時も、海の底が見えたようです。
まさか、海の底が見えるなんて、なんともおぞましい話です。
普段はこんなに穏やかな海なのに・・・。
普段の志津川湾0.JPG

この日の被災地の案内をしてくれた語り部ガイドの方は、「菅原清香」さんでした。
実は、菅原さんも被災者で、お母様が未だに見つかっていないそうです。
また親戚のおばさんも亡くなったらしいのですが、、最初に遺体が見つかった時には、
検死官の人が、歯が自分の歯であるという説明があり、総入れ歯であったおばさんではないとの
判断をしたらしいのですが、数週間後にDNA鑑定でおばさんであったと言うことが後から解った
らしのです。
そのときに、おばさんと判断してあげれなかったことが悔やまれるともおっしゃってました。

しかし、そう言う立場でいながらも、前に進むという気持ちをもって、この震災を風化させない
という目的に元に頑張っておられるのには、非常に心打たれました。

この語り部ガイドという制度を導入したのは、南三陸町が最初のようです。
こういった地域ぐるみで復興に向けた取り組みが評価され、

「地域づくり総務大臣表彰大賞」
も受賞された様です。

この語り部ガイドさんのお話は、本当に心にしみます。
震災の辛さ、どうやってこれから立ち直っていくのか、生きてる内に出来ること
などを改めて痛感します。

 ※この語り部講演については、もし会社の行事や、友人とかと是非話を聞いてみたいと
  言うことであれば、
南三陸町観光協会に確認してもらえれば解るようです。

http://www.m-kankou.jp/etc/contact.html

 詳細は、福興市公式サイトでも確認できます。
 ※復興では、なく”福”という字を使われています。

是非、皆さんも機会があれば、訪問してもらえればと思います。
東北復興に向けた活動は色々とあると思います。
東北地方に旅行に行き、被災地でお土産を買うことや、ボランティア等色々とあると思います。
皆が今できることをすることで、現地の方々にも励みになるかなと、ふと思いました。

今回の旅行はとても意味のある物でした。
この語り部ガイドのお話を聞けたのは貴重な体験でしたので、是非皆さんにも機会があれば
お勧めしたいです。


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