日曜日の午前中に、父方の本家の叔父さんが亡くなったため、
久々に生家(滋賀県甲賀市)に葬儀等に出席のため帰った。

自分が生まれた当時は、甲賀郡であった。
あっそうそう、甲賀忍者のケムマキ君が有名であるが、「甲賀」とは、
〔こうが〕ではなく、『こうか』と濁らないのである。

父方の本家ということもあり、親族が集まることになり、自分も行くことになった。
昼過ぎに自宅を出発し、夕方に京都駅に到着。

実家の甲賀まで、京都から二時間以上かかるため、京都駅でレンタカーを借りて
移動した。

叔父が午前中に亡くなったため、夕方にはお通夜があると思われたが、翌日に
告別式と併せて行うことになった。
これまで、何度かお通夜に参列することはあったが、お通夜と告別式を同じ日に
実施するケースは無かったので、ちょっとビックリした。

どうやら、田舎の古い仕来りが関係しているようだ。
この地域では、「葬連組」という集まりがあり、地域の代表が葬式を取り仕切る
習わしがあるらしく、遺族との間での調整によるものらしい。
結果的に翌日午前中にお通夜、午後から告別式、火葬そして初七日を
一日で行うこととなった。
自分が社会に出てから、これまで身内が亡くなったことが無かったため、初めて
遺族関係者として葬式の段取りを経験することになった。

亡くなった日曜日の晩は、葬儀場でご遺体を安置していたのだが、ご遺族が
忙しいこともあり、叔父さんの弟であるうちの親父が、線香の火のお守りをする
ことになり、母親と自分とで交代で火の番をしていた。
最近は八時間程度保つ、巻き線香を使う事が多いようであるが、とても神聖な儀式である。

翌日の告別式では、「御詠歌」なる歌も初めて耳にした。

告別式、火葬後は、初めて『お骨上げ』に参加させて戴いた。
これまでは、二人一組でお骨上げをしていたが、最近は一人一人がお骨を骨壺に
入れるようになっているという。
足下から身体の部位単位で骨を拾い骨壺に納め、最後は喉仏を中心に配置し、
頭の骨で蓋をするイメージで納める。
時間にして,火葬から約2時間半程度の儀式であった。

20年ほど前に母方のおばあちゃんが亡くなった際には、土葬であった。
孫代表で、自分が穴を掘った記憶が鮮明によみがえったが、ここ4,5年で
火葬するようになったらしい。

人が亡くなるという自然の摂理の中で、今回は非常に貴重な体験をさせて戴いた。
叔父さんも沢山の方に見送って戴き、さぞ喜んでいるだろう。
謹んでご冥福をお祈りいたします。